完璧を求めすぎて、身動きできない時
「誰からも好かれないといけない」
「みんなから素晴らしいと言われなければ」
「失敗したらバカにされるに違いない」
そんな思いに取り付かれることがあります。
そういう時の心の中は、「みんな」という仮想敵を作って、悪口言われている場面を想像したり、仲間外れや、仕事が無くなることを想像して、足がすくんで一歩も動けない。
でも、思い切って踏み出してみたい自分もいて、その狭間で苦しくなる。
そんなことが皆さんの中で起こる時ってありませんか?
実はこのホームページの作成も、そんな思いに取り付かれて、停滞した時期がありました。
当時は自分が書いた原稿のすべてがとんでもない駄文に思えたり、間違った考えを含んでいる気がして、でも何が正しいのかわからなくて手が止まっていました。
そんな時、相談した20年来の友人に言われた言葉が、
「誰からどう思われてもいいやん。好きなように作りぃや。」
昔から、自分のことをよく知ってくれている友人の言葉には、真実の重みがありますね。
本当にいるのかどうかわからない仮想敵に気を使って、自分を縮こまらせて生きていっても、どんどん自分が、人生が縮こまっていくだけ。死ぬ直前にその人たちが出てきて、「みんなの気分を害さない人生だったね、えらいね」と褒めてくれるわけじゃない。
私は2014年に乳がんの手術をしています。
幸いにも初期でしたけど、やはり告知から手術までは「自分が死ぬかもしれない」という考えが頭をよぎって。恐怖でふるえました。
何をする気力も起きなくて、ベッドで寝ていると、「まだ私やりたいことやってないやん」という思いにかられて、「もし元気になったら、自分の好きなように生きよう!」
そう思ったんですよね。友人の言葉でハッとしました。
本当の意味での失敗って何?って問うと、やっぱり自分の人生を生きないことではないでしょうか?
誰かが良いというもの、みんなが素晴らしいと思うものを追い求めても、それってただの幻想かもしれない。他人の評価は移ろいやすいし、必ず反対の意見を言う人がいるものです。「みんな」という存在がそもそも有りえない。
何かにうずいたり、引き寄せられている自分がいるのに、どう思われるのかを気にしてそこに行かないのは、本当にもったいない。自分にもクライアントさんにもそう思います。
人生は一度きり。
もう一度最初から、はできない。
もしノビノビと手足を伸ばして、好きなように振舞って、好きな言葉ばかり話せたら、どんなに喜びにあふれる人生でしょうね?
悪口が怖くないかって?
そうですね・・・よくよく思い返すと今までの経験から言って、実際行動して失敗したり人から悪く言われることってほぼ無いと思います。でも、確かにわずかな確率ですけど、人から批判される可能性ってありますね。
心配なあなたのために、さきほどの「誰にどう思われてもいいやん」じゃないですけど、迷いを振り切る言葉を自分でストックしておくというのはどうでしょうか?
例えば・・・
* 言いたいやつには言わせとけ
* 知るか
* うらやましいんだよ
* 命までは取られない
* 死にはしない
* ぜんぶ経験
* 結局はなんとかなる
何かフィットする言葉があれば幸いです。
私ですか?
そうですね、まだまだいつの間にか完璧主義になっていますけど、早くそこを突き抜けて、他人から「あいつはしょうがない」「何を言っても無駄」、とあきれられるところまで持っていきたいですね。
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