「熱中」と「依存」の境界線を考える。あなたの「仕事好き」はどっち?

こんにちは!

前回の投稿で、「自分を楽しませるにはどうしたらいいだろう?」という問いを持って過ごす、と書きました。

 

一体どうしたらいいだろう?と考えた結果、昔の友人や、しばらく会ってなかった知り合いに連絡をとって会ってもらっています。

私にとって自分のありのままを出せる人と会って話す、という行為は、心がのびやかになって、元気になる行為。

 

内容は何でもいいんです。

何を話しても、後から「あんなこと話して相手はどう思っただろ」と後悔しない。
本音で話せる相手と会うことが、「自分を楽しませる」ことにつながるな、と今は思っています。
自分の中ではかなり気を遣わない、本当に親しみを持てる人に連絡しているんですが、その友人たちと大体1年ちょっとくらい、会ってなかったんですよね。というより、「没交渉」。メールやLINEもしていない。

 

「この1年何があったんだろう?」と考えて、それでピンと来たんですけど、ここ1年ほど私、「コーチング依存」だったんだと思うんです。コーチングは私にとって、「仕事」でもあるので、今日は「仕事依存」について話してみたいと思います。

 

人物

 

実は、私は元々依存体質。
20代は恋愛依存。一人の人に執着する依存ではなく、「男性から必要とされることを必要とする」という感じ。自分が好きじゃなくても、相手から「好きだ」と言われたら断れない。なので男性関係はややこしかったです。(詳しくはまた別に)

 

 

30代前半は当時務めていた金融会社で仕事依存。
毎日夜遅くまで仕事をして、仕事の結果に一喜一憂。休みの日も仕事のことを考えて気が休まらない。常に焦りがありました。顔も怖かったと思います。

 

 

 

私は医療の専門家ではないので、何を持って依存とするのか、そのあたりはWikipediaでも読んでいただけたらと思います。

あくまで私個人の意見と考察ですけど、恋愛という人間関係に依存するのも、仕事いう過程に依存するのも、以下のような共通点がありました。

 

*常に依存する対象のことを考えていて、心が休まる時がない。飢餓感がある。
*人から求められたり、褒められること、結果を出すことが自分の存在意義。
*依存行為を優先して、家族や友人との時間は減る。

 

好きな人と一緒にいたり、好きな仕事をしているはずなのに、なぜか心は満たされず、「次へ次へ」と駆り立てられます。

 

仕事依存の場合は、とにかく結果にこだわるので、過程でがんばった自分を認めることができなかったですね。

 

仕事がうまくいったら、人生もうまくっている。仕事がうまくいかなかったら人生もうまくいってない。白か黒の両極端な考えだし、人に遅れを取りたくないから、休むことができない。

 

 

駆り立てられるのには理由があって、なぜなら求められたり褒められたりといった、外から与えられるものが喜びで、自分の内側から満たしているわけではないからです。

 
でもこういった振り返りも、今だからこそできることで、はまっている当時は少しも気づいていなかったな、と。気づいたのは、コーチングを学び始めて、心理学の本を読んだりし始めてから。依存症の項目を読んで「これ私だ!」と驚愕しました。

 

それ以来、コーチングを学んで「私もバランス良くなってきたな〜」と思っていたら、いつの間にかのコーチング依存。確かにセッションがうまくいったら、人生がうまくいって、セッションがうまくいかなかったら人生がうまくいっていない感じに最近なってましたね。

 

標題の「熱中」なのか「依存」なのか、ですけど、

*楽しく取り組めているか?悲壮感がないか?
*結果が出なくても過程でがんばる自分に満足できているか
*オフを心身ともに取ることができているか。
あたりが大切な気がします。

 

またなぜ仕事依存になるのか、なんですけど、その底には結構強烈な自己否定があるかも、と思います。自分に自信がないと、他人から褒めてもらいやすいところに執着しやすくなる。

そこを失うと自分の拠り所がなくなるので、切羽詰まった感覚で頑張ってしまう、そんな感じでしょうか。

 

だから、どうやったら内側から自分を満たせるのか、そこは考えていかないといけないと思います。

 

人とは、仕事、家族、友人、パートナー、趣味、社会貢献、様々な面でなりたっているもの。改めて自分も軸足をバランスよく置くことが大切だなぁ、と痛感しています。

 

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